世の中に絶えて櫻のなかりせば

“片手でSpinning the world”な人

会報 Vol.84 後編 〜“背反の共存”から捉える櫻井翔〜

 

どうも。マイです。

 

前編からかなり間が空いてしまいましたが、会報の感想まとめ、後編は「櫻井翔百問百答」についてお話ししようと思います。

 

 

(前編はこちら)

florcerezo25.hatenadiary.jp

 

最初に断っておきたいのが、わたしは櫻井翔さんについてほとんど何も知らないということです。ですので今からダラダラと語る内容は主観に基づいて構築されたわたしの脳内の櫻井翔さんであることをお見知り置きください。人には人の乳酸菌があるように、人には人の櫻井翔があるのです。(は?)

意味の分からない言い訳はさておき、恐らく異論や突っ込みが随所あるかと思われますが以下の内容は全てフィクションですのでどうかお手柔らかにお願いします…!コイツ何も知らないくせに気持ち悪っ!深読み乙!って感じで読み流してください。

あまりのキモさにみんなドン引きだと思うけどパッションで押し切るぜ!!!!!イェア!!!!!

 

 

 

では参ります〜!

 

 

 

まず、記事タイトルにもあるようにわたしは櫻井翔さんを哲学する上でのキーワードを「背反の共存」であると考えています。

矛盾なら誰しも抱えながら生きてるんじゃ…?と思うかもしれませんが、わたしがここで言う「背反の共存」は矛盾とはちょっと意味が違います。

矛盾を「論理的な整合性を欠いている状態」と定義するならば、背反の共存は「物理的な整合性を欠いている状態」なんです。

もう少し砕いて言うと矛盾は「辻褄が合わないこと」、背反の共存は「同時に存在し得ないものが同時に存在していること」という感じかなぁ。どうか伝わりますように。

翔くんの中には普通の人間なら存在し得ないような対極の要素が同時に複数存在しているんです。それは単に彼のスペックだけではなく、行動や生き方など様々な面について言えるのではないかとわたしは感じています。

例えば。

何でも完璧にこなしてしまうように見えて、ちょいちょい残念でぽんこつなところがある。スペックが高すぎるあまり人間離れしているようで、逆にとても人間味に溢れている。かなり謙虚でいて、かなりの自信家。自分の環境や人生に強い誇りを持つ一方、それが時として自分を縛る呪いに姿を変える。人一倍“普通”じゃないからこそ、人一倍“普通”に執着している。などなど。

このように、複数の背反を抱えながらも存在としての整合性を保っており、なおかつそれが弱点ではなく唯一無二の武器となっている人間、それがわたしの中の櫻井翔さんなんです。

百問百答を読んで改めてそれを強く感じたので、今回言語化しようと思い至りました。

百問百答の全ての回答について話したいのは山々なんですが、毎度毎度長文ツイートしか出来ないわたしのことなのでおびただしい字数になることは想像に難くありません。

そこで今回は、百問百答の考察を通してこの「背反の共存」を論証することに焦点を定めようと思います。それでも過去最高に長くなることが予想されるので覚悟の上お付き合いください…。

 

 

 

ではようやく本論へ!

 

 

12. 性格的長所をふたつ教えてください:慎重なのにポジティブ

13. 性格的短所をひとつ教えてください:Q12に同じ

まさに!です。翔くんの中には“慎重”と“ポジティブ”という対極に位置するような性格の要素が同時に存在しているんです。しかもなんと、「なのに」という逆接の接続詞を使用していることから分かるようにこの背反の共存を翔くんは自覚しているんです。

これは背反の共存を提唱するわたしからすると堪らない回答です。イェ〜〜イ!!!解釈の一致!!!

この回答のポイントは、何と言っても短所もQ12に同じと答えているところです。慎重なのにポジティブ、という性格が長所にも短所にも作用する。背反のフルコースじゃん!!!

翔くんは石橋を叩いて渡るタイプだと思いますが、石橋を叩いて渡る多くの人が橋が壊れて転落する不安から橋を叩くのに対し、翔くんは橋を渡った先しか見据えておらず橋を叩くのはあくまで最悪の事態を想定しての確認に過ぎないように思われます。

常に前しか見ていないため橋を叩く行為に負の感情は伴っていないのではないか、というのが「慎重なのにポジティブ」についての個人的見解です。

う〜んでもこれが短所でもあるのか…。分っかんないな〜。櫻井翔って面白いな〜!

 

 

 

37. 世の中で最も苦手とするものは?:無礼な人

これ、苦手とする“もの”ですよ?“もの”ですよ?“もの”ですよ?(3回言った)

無礼な人には人権すらないんだ……櫻井翔さんコワ……そういうとこあるよね……サイコーかよ……。

普通に「高所」とか答えれば良いものをこの質問でわざわざ「無礼な人」と答える辺り、卍櫻井翔卍って感じですよね〜!(卍を使うな)

ところで、皆さんは翔くんを優しい人だと思いますか?

これは意見の分かれるところだと推測されますが、わたしは個人的に翔くんは優しい人だと思っています。でも、彼の優しさにはちょっと注釈が必要だと思うんです。

と言うのは、翔くんは不快感や違和感を抱かせないように一定のラインまでは誰に対しても優しさを提供してくれます。自然に、さり気なく、絶妙な匙加減で、多方面への配慮が出来てしまう人です。注意深く観察していないと気づかないくらい、まるで魔法を使ったみたいに場の流れを円滑化してしまうんです。これは特にバラエティ番組で頻繁に観察されますよね。最高。

ですがそのラインを一歩踏み越えた先、本当の優しさが注がれるのは、彼の中の基準をクリアした人間に限られているのではないかとわたしは感じます。

この基準とは何か、その典型的な例の一つが“礼節をわきまえていること”ではないでしょうか。

どんな人にも分け隔てなく優しいように見えても、無礼な人に対し表面的には優しく接していても、心の中では基準に達しない人間を容赦なく斬り捨てているんじゃないのかなぁと。

だって無礼な人は人だとすら思ってないんだもん。こわ〜い。すき。分かんないけど!

翔くんは決して優しくない訳ではないし、むしろとても優しい人。ただし彼の優しさは冷たい、ということです。背反の共存ですね〜!

 

 

 

63. 最近アタマにきたことは?:おそらく山ほどあります

69. あなたの笑顔の源は?:大体のことで笑っている気がします

いつも不思議だなって思うんですけど、翔くんって短気なのに笑い上戸なんですよね〜…。これもまさに背反の共存じゃないですか?

この理由について少し考えた結果、三つの可能性が浮かびました。

一つ目は、シンプルに人より笑いの沸点が低いから。これが一番大きいかなと思います。バラエティ番組で一人だけ死ぬんじゃないかってくらい爆笑している場面をよく目にしますよね。めっちゃかわいい。愛しい。

二つ目は、場を明るくしようとしているから。笑い声には自然と場の温度を上げる作用があります。意識的か無意識的かは分かりませんが、翔くんは場を回す役割を担っている故にバラエティ番組などの“表”の場面において笑いの沸点が下がっているのかもしれません。

そして三つ目は、無意識に短気な自分を隠そうとしているから。自分が短気である自覚があるため笑うという反対の行為でそれを無意識に隠そうとする、といった一種の反動形成が生じている可能性が考えられます。でもこれはちょっと考えすぎだよね。

いずれにせよ、怒りっぽいのに笑いやすいだなんてめちゃくちゃねじれてるな〜。櫻井翔さんってほんと面白い人だな〜。

 

 

 

65. ジンクスはありますか?:全くありません

66. 好きな言葉は?:My life is my message

67. 座右の銘は?:独立自尊 

68. あなたの信条は?:自分の価値観を人に押し付けない

ここでの背反の共存は、自分の信念や価値観を人よりも多く持っているはずなのにジンクスは全くないと言ってのける点、そしてその信念や価値観を人に押し付けないことが信条であると答えた点です。

ジンクスがないというのは、ジンクスを自分の行為に裏打ちされない迷信として捉えているため、常に自分の力で道を切り拓こうとする翔くんには必要のないもの、ということなのかなぁと思いました。

「ジンクスなんて俺には不要、俺の道は俺で拓く」ってことですね。クゥ〜〜カッケェ〜!!!(※妄想です)

66や67の回答からも想像できるように、翔くんの中には譲れない独自の価値基準やポリシーといったこだわりが明確にかつ多数存在していて、意識下/無意識下問わずあらゆる場面でそれらに支配されて生きているように見受けられます。

にも関わらず信条として明言するほどそれらを押し付けないことを意識して生きているなんて、簡単そうで難しいと思うしやっぱり敵わないなぁと舌を巻いてしまいました。

でも、翔くんは元々価値観を人に押し付けてしまう人だと思うんです。それだけマイルールがあったら周りの人にもそのルールをつい適用したくなってしまうと思うんです。ということは、押し付けてしまいがちな故にこの信条に至った可能性が高い。

めっちゃすごくないですか!?わたしには出来ないもん。やっぱり人として出来すぎてるんだよな。(今日も元気にモンペオタク)

翔くんが柔軟な思考を意識するようになったのは単純に歳を取って経験を積んだというのもあると思いますが、嵐という環境に身を置いてきたからではないかとわたしは考えています。

嵐は家族より長い時間を共にしながらも決して相手を蔑ろにすることはなく常にお互いを敬い尊重し合ってきた結果、引くほど仲が良いのに余計な干渉はしない、それでいて油断してるとすぐ“俺が一番メンバーのこと知ってる”マウントを取り始める、などといった意味の分からない、特殊な、めちゃくちゃに尊い関係性を築き上げてきました。

このような環境が翔くんの少し固いところのある頭をやわらかくしたのではないか、と勝手に思っています。勿論、元々相手の意見を全く聞き入れようとしない人だったって訳じゃないよ。

反対に、嵐には確固たる核が存在していてその核に関しては絶対に譲らず核を傷つけようとするものに対して容赦しない、といった面もあります。

嵐って大切にしてる宝石に素手でベタベタ触れられようものならその腕ごと躊躇なくへし折るみたいなとこあるじゃん!たまらんよね!

そういう、正当に敵とみなした対象にはしっかり牙を剥くようなところは翔くんの要素が強いのかなぁなんて思うんです。二宮くんもあるかも。

このように、5人それぞれの長所を取り入れて、短所は和らげて、柔軟さと硬骨さが上手く共存する最強の嵐になっていったのかなと思います。

気づいたら嵐の話になっちゃった。結局は嵐って最強だよねっていう話!

 

 

 

70. 人に言われて嬉しい言葉は?:バカだねぇ

翔くんはふざけるメンバーに対してよく「くだらねぇ(笑)」と楽しそうに愛おしそうに零していますが、「バカだねぇ」もこれと同義ではないかと考えられます。つまり、恐らく翔くんにとってこれらの言葉は愛に満ちた賛辞なんです。

そして翔くんのイメージで挙がりやすいのは“頭が良い”という要素であり、これは翔くんのパブリックイメージの典型例とも言えます。また、彼自身のアイデンティティも学歴によるところが大きいと思います。このように、翔くんと“頭脳明晰”“高学歴”などといった類のワードは切っても切り離せません。

この二点から、翔くんはパブリックイメージだけではない自分を褒められることに嬉しさを感じるのではないか、この回答は“頭が良い”だけでは終わらない自分を見てほしいという潜在的願望の表れなのではないか、という仮説が立てられます。

“バカ”は“頭が良い”と対極の意味を持つので頭が良いことを否定する言葉のようにも思えますが、ここで言う翔くんにとっての“バカ”とは自分のパブリックイメージではない一面を指す意味合いなのではないでしょうか。

パブリックイメージという表層を突き破ったその先、自分の深層を見てもらえている感覚を、“バカ”という対極の言葉によって掴んでいる。ここにもまた、背反の共存が見え隠れしているような気がします。そうです、背反の共存と言いたいだけです。

 

 

 

76. 得意なデートプランは?:吊り橋を二人で渡る

一見さらっと読み流してしまいそうな回答ですが、個人的にこれは巧妙なジョークだと思っているのでここで深読み大好きオタクの本領を発揮したいと思います。

まず、翔くんは高所恐怖症です。にも関わらず吊り橋のような高所かつ不安定といういかにも翔くんが苦手そうな場所でのデートが得意だと答えたのは一体なぜでしょうか。少々引っかかります。

次に、吊り橋と言えば吊り橋効果が容易に連想されます。吊り橋効果とは、不安や恐怖を感じている時出会った相手に恋愛感情を抱きやすいという効果です。吊り橋によるドキドキを相手に対するドキドキであると錯覚するというものです。

この二点から考えられるのは、苦手な高所も吊り橋という場所でなら状況を有利に運べる可能性がある、ということです。つまり、翔くんにとって吊り橋とは言わば「ピンチをチャンスに変えられる場所」なのです。

最初から得意な場所ではなく敢えて苦手な場所を挙げている辺りがアウェイをホームに変えてきた翔くんらしいなぁと感じました。

ピンチをチャンスに、アウェイをホームに、敢えて自分にとって不利な状況からスタートする、これがここでの背反の共存です。

この質問でここまで巧妙なジョークを仕込んでくる翔くんヤバイな。妄想でここまで語れるわたしの方がヤバイけどな。

 

 

 

77. 好きな人にプレゼントしてみたいものは?:忌憚なき意見

ハイ出ました櫻井翔の真骨頂!!!!!ありがとうございます!!!!!拍手!!!!!

好きな人と忌憚のない、つまり遠慮のない意見を交わせるような親しい関係性になりたいって意味なんでしょうけど、それにしてもこの質問にこの回答。泣く子も黙る櫻井翔感。卍櫻井翔卍。(だから卍を使うな)

櫻井翔卍で片付けるのは余りにも雑すぎて深読みオタクのわたしが許してくれないと思うので少し掘り下げてみますね。

わたしはこの回答を“忌憚なき意見を交わせるような人を好きになる”と逆説的に捉えました。つまり、この質問は“好きになるのはどんな人か”ということになります。

芸能人というお仕事は本心に無いことを言う必要の生じる場面が多いと思います。しかしそれでも、それ以上に翔くんの言動と心との齟齬が透けて見える瞬間が度々あるんです。

わたし達はあくまで表の翔くんしか見ることが出来ないので彼の真意は勿論全く分かりません。ただ、彼の言動を観察している中でたぶん今のは真意に基づいてないんだろうな、とだけは何となく分かる時があるんです。

こんなのキモオタの戯言に過ぎないけど。でも、やっぱり翔くんは芸能人としての必要以上に仮面を被ってるなって思っちゃうんですよね…。切ないけどそこがまた趣深い!!!いやマジでキッッモいなわたし。

何が言いたいかというと、中々外れることのない翔くんの仮面を外せる相手が忌憚なき意見を交わせるような相手なのではないか、ということです。

翔くんは意識的に簡単には仮面を外さないようにしているけれど、忌憚なき意見を交わせるならばその相手に心を開いている、すなわち好きな人なのではないか、というのがわたしの考察です。

 

 

 

99. 今回の人生にタイトルをつけるとしたら?:博打

100. 人生最大の野望は?:拍手で終わる葬儀

自分の人生が博打だなんてその博打に勝ち続けてきた人しか言えないよなぁと率直に感じました。しかも、博打なのに運ではなく努力で勝ってきたんですよ…。っょぃ…。

ここでの背反の共存は運に左右されるはずの博打を自らの努力で操ってきたという点です。

翔くんは自分が進むと思っていたであろう道からは大きく外れ、いわゆる“道なき道”を辿ってきました。

そしてその道はただ草木が踏み潰されて出来たものではなく、翔くんが通った跡は丁寧に舗装されているような、わたしの中ではそんなイメージなんです。

まさに「この大草原の先には何が待っているのだろう 道がないなら創ればいい その先例え果てていたとしても」ですね…。ヒィ。

翔くんは自ら開拓してきた道に絶対的な自信と誇りを持っていると思います。否、絶対的な自信と誇りを持てるほどの努力を重ねてきたと言った方が正確かもしれません。ほんとにすごい。すごいとしか言えない。

そんな彼はこれからもこの博打に自らの力で勝ち続ける気満々で、運ではなく努力で博打に勝ち続けた人生を最終的に高く評価されることが野望でありそれが「拍手で終わる葬儀」の意味なのではないでしょうか。

いや〜痺れますね〜〜!!!なんてったって“片手でSpinning the world”ですからね櫻井翔さんは!!!卍櫻井翔卍!!!(だから卍を使

葬儀が拍手で終わるような人物になりたいだなんて……これはもう嵐が万札の肖像画になるまで死ねないな!!!ヨッ!ポスト渋沢栄一!!!

まぁ全部憶測なんですけどね!!!ハハッ!!!

 

 


 

最後に、ここまでの気持ち悪い考察も無駄じゃないかも…?と思わせてくれる回答について触れたいと思います。

 

 

85. 今の気分にぴったりの嵐の楽曲は?:『Hip Pop Boogie Chapter II』(ソロでごめんなさい)

この回答について翔くんは裏表紙で「超考えたし全曲見返したけど…やっぱり、俺のメッセージはそこに詰まってるから。」って解説してるんですよね。つまり、直感では答えていないんです。

「今」を“この百問百答において”と考えた場合、この曲を挙げてこの解説を加えたということは、この曲にメッセージを込めたのと同様に百問百答にもメッセージを込めている、という可能性が浮上します。

「今の気分に」と聞かれたら喜怒哀楽に結びつけて答えるのが妥当かなって思うんです。でもここで彼のマスターピースであるこの曲を挙げるところが櫻井翔櫻井翔たる所以ですよね。

全体を通して、「この質問でこの回答?」と感じるところが度々ありました。きっとそんなに深く考えずに生まれた回答が多いのかもしれません。でももしこの僅かな違和感や引っかかりが、櫻井翔さんが百問百答に忍ばせた暗号の片鱗だったとしたらどうしますか?皆さんどうしますか???(どうもしない)

別に真相はどっちだって良いんです!!!わたしが考えるの楽しいだけだから!!!ありがとう翔くん!!!

 

 

 


この百問百答は、きっと櫻井担のバイブルです。何度読み返していくら考えたって彼の考えていることはこれっぽっちも分かりません。それどころか、これからもずっと実際の彼については何も知りませんし分かりません。分かるのはとんでもなく顔が良いってことくらいです。

だがそれが良い。虚像と実像の境界を巧妙にぼかしてくれているのがプロのアイドルというものです。彼が意図的に残した余白を埋めることが考察好きオタクに与えられた永遠の課題なのです。

櫻井翔さん万歳!!!最高!!!だいすき!!!

 

 

 

 

そして、「背反の共存」についてはお分かりいただけたでしょうか…?

わたしは、このような「背反の共存」が櫻井翔さんに対して常々抱いている“得体の知れない恐怖”の正体ではないかと考えています。恐怖と言っても神に抱くような畏怖に近いです。わたしにとって翔くんは神様に近いのかもしれない。でもやっぱり彼は人間なんですよね。

すなわち、「背反の共存」が櫻井翔という“人間”に偶像性を帯びさせ、かつ反対に櫻井翔という“キャラクター”に奥行きを与え、その結果櫻井翔という“アイドル”が出来上がる、ということでしょうか。めちゃくちゃ面白いな…。

また、彼に内在する複数の背反が彼の幽玄さの一因であるとも考えています。わたしが「彼のことを知りたい!」という感情にずっと駆られ続けている理由も、ここにあるかもしれません。

つまり、櫻井翔の大きな魅力であり強い訴求力、それが背反の共存なのです。

  

 

 

 

 

以上、暴走したキモオタによる主観塗れの深読みフェスティバルをお送りしました。

よくもまぁ大して知りもしない人のことをこれだけ知ったように語れるもんだ。気持ち悪いね。でもこれでわたしの脳内に住む櫻井翔さんを少しはお伝えできたかなと思います。全体的に手詰まり感が否めないのはご愛嬌☆

焦点を定めたくせにえげつなく長くなってしまいましたが、ここまでお付き合いいただき誠にありがとうございました。

何とも無粋なことをしてしまいました。書いてる途中で「なんでこんな気持ち悪いことしてるんだろ…」と何度も挫けましたが脳内の櫻井翔像を言語化するのはめちゃくちゃ楽しかったので後悔はしていません。

 

改めて、本当にありがとうございました!!!